サドとゴス…デカダンスのエロス

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ホラー・ドラコニア少女小説集成【壱】『ジェローム神父』(マルキ・ド・サド原作、澁澤龍彦抄訳、会田誠挿画)を読みました。
これは本屋で買いづらいですね。表紙絵がヤバすぎる。いい子はAmazon.co.jpで検索なんかしちゃいけませんよ。
やっぱりサドはゴスとは比較になりませんね。
ああ、ゴスっていうのは乙一の『GOTH』のことです。簡単に説明すると、アニメやマンガの代わりに猟奇的なものに興味を持つ自分ってサイコーにイカしてね? と思いこんでるオタク系猟奇趣味者のことです。
え、違ったっけ? 少なくとも私はそんな印象を受けましたけど。
でもサドはそんな生半可な覚悟で読んではいけません。『GOTH』に影響されてグロテスクなものに興味を持ち、その結果サドにたどり着く人もいるでしょうが、サドはヤバい。
私は『GOTH』の影響というより、デカダンス趣味の延長上にサドが浮かび上がってきたって感じですが、デカダンスともまた一線を画してます。
デカダンスにも官能性、エロスが重要なテーマなんじゃないかと思って手を出してみましたが、実際に読んでみると、どうも違う気がしてきた。
とは言っても、他にはピエール・モリオンの『閉ざされた城の中で語る英吉利人』ぐらいしか、サド系小説は読んだことないんですけどね。
以前、神保町で買ったサドの完訳版『ソドムの百二十日』なんて読んだら大変なことになりそうだな。そういえばこの本も箱表面には一応裸女が描かれてるけど、まるでピカソの『アビニョンの娘たち』的なデフォルメがされてるので平気で買ってしまいましたが。
バタイユの小説なんかも4つほど買ってあるが、まだひとつも読んでない。バタイユもサドっぽい印象があるけど実際のところどうなんだろう。
さっさと読めって話ですね、はいすいません。
しかし、デカダンスのエロスはサドではなくゴスなのかもしれないなぁ。
デカダンスがそもそもオタクっぽい弱者の論理としての共産主義って感じだけど、『ジェローム神父』なんて、あからさまに一般人の強者の論理としての資本主義なんだよなぁ。
なんだか書いてみるとますますそんな気がしてきた。
デカダンスのエロスはサドじゃなくてゴスなんだきっと。
これからはそれをテーマに読んでいくとするか。

以上、独り言でした。
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